熊本支援活動報告 2016.4.24~7.27

私たちは熊本県阿蘇郡西原村と繋がりを持てたことから、同村を中心に復旧・復興支援活動に従事しました。主な作業としては、瓦礫撤去や炊き出し等、緊急性の高い復旧作業の手伝いを優先しつつ、合間を縫って歌やアート、お菓子作りなどソフト面での支援も行いました。以下、順を追ってご報告します。


【 第一回派遣 】 2016.4.24~26 ( 石田・佐藤 )

・実施した内容

炊き出しの手伝い、カンパ金・支援物資の寄付、避難所等の慰問コンサート、親子カフェの手伝い、作業従事車両のペイント、被災地の商品買い付け等

・主な活動経

 過震災発生から10日足らずでの出発のため、現地の状況把握は難しく、西原村は災害ボランティアセンターの受け入れも始まっていない状況でした。車に積める限りの支援物資と資材を持って、知人の紹介で、西原村役場に隣接する障がい者自立支援センター「NPO法人にしはらたんぽぽハウス」に伺いました。

同施設は、施設に自主避難している利用者さんや近隣避難所のために自主炊き出しを行なっり、外部からのボランティアを受け入れて被災者のニーズとマッチングするコーディネーター的な役割も担っていました。のちに全国から多くの人がここを頼って集まることになります。ボランティアセンターの立ち上げよりも前に避難所で慰問演奏をしたり、子どもたちと交流することができたのは、同施設の施設長さんが地元の事情に精通していて、各方面にすぐ声をかけてくださったおかげです。

託していただいたカンパ金は同施設に、支援物資は西原村立河原小学校避難所に、それぞれ付しました。また、たんぽぽハウスでは授産品として様々な商品を作っていましたが、それらの販売窓口であった地元の道の駅が被災し、販路が途絶えてしまったため、商品を買い取って関西のチャリティイベントで販売する買い付け支援も行いました。



・現地で気づいた事

 現地はまだ非常に混乱しており、支援する側は誰かの指示を待つのではなく状況をよく見て自分にできることを率先して行う行動力が求められました。特に炊き出しや食材の管理などをきちんとなせる人の手は非常に必要とされていましたが、支援者は全国から入れ替わり立ち替わりやってきては短期間で去ってしまいます。毎回イチから手順を説明する地元の方の負担は相当大きいと感じました。長く滞在して炊き出しやボランティア受け入れの窓口となる人がいれば、地元の方の負担軽減になり、本来の業務や自宅の復旧などに時間を割けただろうと思います。


 行政機関にも同じことが言えると指摘がありました。例えば現地の社会福祉協議会は、職員数がそれほど多いわけではなく、非常時には職員総出で障がい者や高齢者が困っていないか、村全体の状況把握に巡回すべきところを、初動の段階で炊き出しを自ら担当したため、目の前の炊事に忙殺されて被害の全容調査が後回しになってしまったとのことです。炊き出しのように誰でもできことは他の人やボランティアで分担し、専門職の人にはその分野に注力してもらう、そうした仕組みが重要であると感じました。

 負担軽減という点で「子どもの相手」も非常に重要でした。親子カフェでは、学校が休校のため居場所のない子どもたちを受け入れ、若手ボランティアが中心になって遊び相手になります。その間に大人は家の片付けができたり、大人同士で復興に関する情報交換をしたりできます。避難所運営については、ボランティアが手を出しすぎてはいけないという側面も学びました。外部の人が全て世話してくれるものだと認識してしまった避難所と、自分たちのことは自分たちで運営しようと自治の精神を持った避難所とでは、その後の長い避難所生活での人間関係や運営の健全性に大きく差が出たと伺いました。私たちは慰問コンサート等でわずかな時間しかお邪魔していませんが、それでも避難所ごとに運営方針や雰囲気の違いを随分感じました。

・活動により達成された効果等

 地元のキーパーソンともいうべき方(たんぽぽハウスの施設長)と、音楽やアートを通じて心の通った信頼関係を築くことができた結果、各方面へどんどんつながりを広げていただけました。そのおかげで、外部から来た私たちが個別に交渉していては到底叶わないほど効率良く、多くの作業や慰問活動をさせていただくことができました。わずかな滞在期間に、避難所等4ヶ所での慰問演奏、作業従事車両のペイント、子ども達との交流など、様々なソフト面での支援活動ができ、被災者の皆さんに大変喜んでいただけました。震災発生からわずか10日でのコンサートは、西原村の避難所では最も早い実施だろうと言われました。高齢の避難者の方も多く、「歌のボランティアがあるなんて知らなかった。こういう支援が一番嬉しい」と言っていただけたのが印象的です。また、今回のつながりから、新たなニーズを聞き出すことができ、次回以降の派遣が非常にスムーズになったことも活動成果と言えます。
 その他、SNS等で現状を発信し支援を呼びかけたところ、東北の被災地からキッチンカーの炊き出し支援が入ってくれたり、水産加工会社から魚を大量に送っていただくなど、東北と熊本の被災地同士をつなぐこともできました。